コロナ テレワーク うつ病日記

初めまして、こんにちは!

元プロ野球選手桑田さんの中学生時代の考え方

 

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プロ野球の巨人軍の投手で現在、PL学園のOB会長をしている桑田真澄さんの話がユーチューブに掲載されていた。

 私の頃は、PL学園と言えば甲子園出場校として有名だった。甲子園球場では在校生徒の人文字応援と独特な校歌また、バッター打席に入るときは、選手一人ひとりが胸のあたりのユニフォームを握りしめるこれも独特のスタイルだった。

 ユニフォームを握りしめるスタイルは、PL伝統の祈りのようで、普段通りに力がだせるように祈っていたそうだ。一時期は、PL以外の高校もPL学園を真似してよく胸を握ってたそうだ。

 

 ユーチューブでの桑田真澄さんの話を紹介する

 小学校3年生は、最初ソフトボールチームに入ってた。当時から、上手かったのかいきなり6年生のチームに3年生として一人メンバにはいってた。その結果、6年生から滅茶苦茶シバかれたりした。

 

桑田さんが小学生のソフトボールで一番いやだったこと

 監督がいないときに一塁に入れと言われたこと。なぜなら、ソフトボールは、野球と比べて一塁までの距離が短い状態だ。そこから、6年生が一塁を守備している桑田さんに向かって全力でボールを投げてくる。監督に一目置かれていた桑田さんに対しての嫌がらせ、妬み、いわゆる、イジメだった。

 特に、バッターが打った打球がセカンドゴロのときは、そこからでも思いっきり6年生が一塁にいる桑田さんをめがけて投げてくるので、顔だけ当たらないようにしていたそうだ。

 それが、耐えきれず、桑田さんは辞めようと思って行かなかった。そうすると、

全員で自転車二人乗りして家に「おい、桑田でてこい!!」と外で叫んでいた。

3年生の桑田さんは家の中で震えていたそうだ。その後、5年生でソフトボールから野球の硬式チームに入った。

 その時、初めて甲子園を知って、雨が降って中断のときに父兄さんのラジオから流れてくる「PL学園を初めてしった」。その時は逆転のPLと騒がれて、桑田さんはここにはいることを決めた。

 

中学生での野球について

  中学校では、野球をたくさんするのではなく、毎日コツコツするのが大好き

  毎日コツコツするのはシャドウピッチング

 

シャドウピッチングとは、

 実際に投球を行わず、投球動作だけを繰り返し行う練習のこと。ボールを使用せずにタオルを使用するのが一般的なやり方

   

  ・シャドウピッチグの回数、例えば50回と決めたら必ず毎日50回する

  ・シャドウピッチグをやる目的は体重移動のバランスとタイミングを覚えること

  ・シャドウピッチグで腕の振りでタオルが「パチン」と当たる音は必要ないと思っていた。その前の過程が大事。なぜなら、体のバランスができれば、腕が勝手に振られていくため。

  ・その他は、中学では専属のコーチがいないので、何をするかというと

    ‐甲子園のエースピッチャー(投手)

    ‐プロ野球のエースピッチャー(投手) 

    ‐メジャーとかで話題になって雑誌とかに出ている人の連続写真を切り抜いてノートに何枚も貼っていった。

   で、そこから、エースと呼ばれている凄いピッチャー(投手)の「共通点は何か」っていうのを探していった。

  その共通点は「これだ!」と言うのを見つけて、中学2年生のときにそれをやったらすごくよくなった。

  ボールが150キロでるわけではなく、低めにボールがびゅんびゅん伸びていく。

 

桑田さんの話はまだまだ、続きます。

 何がすごいかというと、今の中学生はわかりませんが、昭和の頃、中学生である14歳頃から、一つひとつのプロセスを分解して自ら具体的に考えて野球をしていたことに驚きました。昔は野球ブームでしたので、空き地で野球をよくやったものです。しかし、指導者がいない状況で自分で考えて目標を持ち毎日実践していたことに驚きました。

 

 桑田さんの話は、別のテレビでみた話ですが、甲子園の決勝戦で敗退した際に、対戦チームの投手の家に行って宿泊してきたと言ってました。なぜなら、あんな投手になるために一体何をしていたのか、どうすればいいのかを聞きたいからだ。

 と、高校生のときに敗れた相手チームの家に泊まりにいく行動力でさえすごいと思う。

 

 私の嫁は、小学生から桑田さんのファンだ。我が家には、嫁が昔、購入した桑田さんの写真集が今でも何冊かある。