コロナ テレワーク うつ病日記

初めまして、こんにちは!

復職に向けて(その2)

復職に向けての現状を備忘録を兼ねて記載します。

 

 

スーツとネクタイを着用して会社の入り口まで通勤

・3月18日(木) 

朝7時15分に家を出て休職前の通勤時間と同じ時刻、同じ電車で出社、8時30分ころ、会社の最寄り駅へ到着、徒歩で会社入り口まで向かいました。 久しぶりに乗車した電車は、在宅勤務のせいで人が少ないかもと感じましたが、途中駅から電車内はほぼ人で埋め尽くされた状態でした。テレワーク導入前の混雑よりは若干少ない印象でした。

会社の最寄り駅から、徒歩で会社に向かっている途中で知人に会うかなと思いましたがまったく出会うことがありませんでした。出会ったときになんと言おうかと考えていましたが、その必要もありませんでした。その日は、とりあえず、スーツ姿のままサウナに行って露天風呂の日光浴してから帰宅しました。

ちなみに、知人に会った場合は、休職の事を聞かれたたら話をしようかなと思っていました。

 

診療内科受診

・3月24日(水)

診療内科を受診しました。運動不足を兼ねて、自宅から診療内科まで片道3時間かけて歩きました。自宅から診療内科までの距離は約15㎞。朝7時過ぎに自宅を出て、診療内科には10時過ぎに到着しました。

今回の診療内科受診の目的は以下の通りです。

1点目.スーツを着て会社に通勤してどうだったか

2点目.適応障害の原因を解消するための4月1日の人事異動が適用されるのか

3点目.復職に向けて会社側は、診断書にどのように記載してほしいと言っているのか

 

まず、1点目については私自身平常心で会社前まで行くことができ、知人に会うことはなかったですが、知人に会っても特に困ることはないと感じていると回答しました。私自身、通勤して特に問題ないということを報告しました。

 

2点目は診療内科の主治医が聞いているからと会社へメールで確認したところ、5月に異動の話があると回答をもらいました。具体的な異動先はこれからだけでも、今の部署からの異動はあるとのことでした。初耳でしたが、非常にうれしかったです。診療内科の主治医に異動がある話を伝えたときに会社から異動があるので4月は会社に来なくてもよいと言われたことも伝えました。主治医からは、ゴールデンウイークもあるので、まずは4月に復職し会社に行った方が良いと言われました。

 

3点目は、健康管理センタに事前に確認しました。診断書には「4月中旬以降出勤可能」のコメントを主治医に伝え、診断書に「疾病は改善し、令和3年4月中旬より就労可能であると判断する」と記載していただきました。

健康管理センタの方からはその診断書を元に復職面談を3月31日に実施したいと言われました。

今回の確認観点以外に2つ質問しました。

生活チェック管理表はどうすればいいのか確認したところ、産業医が復職の判断に使うので準備しておいてほしいと言われました。

  もう一つは、そもそもの原因を作った担当課長に物を申していいかですかと聞きました。主治医は、攻撃ですか?と聞かれ、そうですと私は答えました。

その結果、攻撃する人もいるけどやめたほうがいいと言われました。

復職面談

・3月31日(水)

健康管理センタの産業医は、いつから何時間の業務時間を決めることおよびデスクワークで負担がかからない業務の実施内容の確認が本日のメイン事項と言われました。

 

・体調確認および生活的には問題ないかの確認

生活リズムチェック表をもとに睡眠時間、食事時間、起床時の状態も「朝、すっきりした状態」で記載し続けていたことを報告しました。健康リズムチェック表一式(2月15日~3月30日)手渡す準備もしていましたが、特に提出要望もなく私が口頭で伝えるだけでした。

 

・外出確認

外出についてはどうかと聞かれ、週末は外出するようにしていること、週末は運動および歩きをしており10㎞歩いたことも伝えました。その時、顔が日焼けしているからと産業医に言われました。

 

・外出後の疲れの確認

歩いた結果、翌日への疲れがないことを報告しました。

 

薬の確認

・薬の服用も一切ないと報告しました。

 

診療内科受診の確認

・診療内科の診断も今まで月1回でしたが、今後、受診するようにも言われてないことを報告したら、今後、体調不良が起きたときに受診で特に今後は不要と判断されたのでしょうと産業医に言われました。

 

・復職後の業務確認

産業医が会社から事前に聞いている具体的な内容は、以下の通りでした。

・社内ホームページのコンテンツ整理またはデザイン変更

・ファイル共有サーバ内の資料整理

 

一通りの産業医との問診が終わった後、会社側(担当課長、総括課長)と復職に向けてリモート会議で話をしました。参加メンバーは産業医、保険医、会社側(担当課長、総括課長)、私の5名です。

 互いに通り一辺倒の話と、休職期間中ご迷惑をおかけしましたとの互いの挨拶のあと

復職のスケジュールをきめました。

 

復職の方針

1.2週間4時間勤務

2.勤務時間は10時~15時

3.座席は変更なし (休職期間が6ヶ月だったため、周りを考慮して別室を用意しようかと言われましたが、私は断りました)

 4.産業医との面談を復職後に実施

 

肝心の異動については、4月9日(金)内示4月16日(金)発令です。

 

 

 

復職に向けて

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2020年10月から、休職して来月に復職かもという段階にきました。

診療内科の診断結果は、「うつ」ではなく、「適応障害」でした。

診療内科の主治医からも、部署変更などの配置転換することで、速やかに症状が改善する可能性があるとのことでした。

 

そのため、会社へ「配置転換」要望書を作成し、産業医へ説明しました。

 

「配置転換」要望内容書の内容

は、以下の通りです。

1.現状

診断書の内容   

病名「適応障害」 自宅療養、通院加療を要す

 

2.経緯

アサインされた案件は、専門的な案件であり、やり方を模索するため専門的従事者に在宅勤務の自宅から連絡するが異動当初でもあり相手にされない。結局、キーマンは前職場から異動した人しかいない状況が継続する中、毎週上司に進捗説明および幹部向け説明予定を勝手に設定される。

 

3.健康障害による、年休と休職期間について

 年休期間および休職期間を記載

 

4.何が困っているのか

アサインされた案件に関し私が、未経験・専門的知識のない業務のため、前職場から異動したキーマンから聞いたことを伝える伝書鳩状態であること。

・上司からの質問があまりにも細かすぎて自力で調べる事に限界を感じること。

・その他の案件も8件程度アサインされ、専門的な別の案件のため、同様に負のスパイラルが繰り返されると想定されること。

・健康管理センターから上司宛に健康障害になっていると連絡があったにも関わらず、上司が放置していたこと。

・前職場では健康障害が発生していなかったが、この職場で健康障害が発生したこと。

・自担当に復帰することを考えるとトラウマで恐怖を思い出すこと。

 その他、色々記載しています。

 

5.最後に

・この業務は、専門的知識を得る経験者が率先して実施する話。

・複数案件を一人任せに依存するやり方ではなく、体系的にする方法の仕組み作りを提案した。

などを記載し、

私が配置転換するのであれば、どのような部署かを記載しました。

 

また、参考として以下も記載しました。

・自担当への復職を考えたときの症状

・健康障害発生時の症状

 

A4用紙7枚くらいになり、20分程度読み上げました。

 

産業医の方も、内容は理解していただけたようでしたが、復職の条件は自担当へまずは戻ることだと言われました。

ただし、この要望書の内容から会社へ、配置転換の意思は伝わると言われました。

 

診療内科は月1回受診

診療内科へは、月に1回受診し、産業医へ報告、会社へもメールで報告していました。

 

「生活リズムチェック表」を記載

現在は、診療内科の主治医から「生活リズムチェック表」を記載するように言われています。要は、1週間のタイムスケジュール表です。

ポイントは、以下のとおりです。

・眠っている時間

・床についたが目がさめいていた時間

・起床時の気分

・夜間の覚醒回数

・規則ただしい食事時間等

 

スーツとネクタイを着用して会社の入り口まで通勤

また、復職に向けて、スーツとネクタイをして会社の入口まで通勤してみることも言われました。

 

診療内科の主治医に言われたことを実践しどのような状況になるか確認してみます。

 

映画「Fukushima 50」を観た 感想

 

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fukusima50の映画を金曜ロードショーでみた。

門田隆将著のノンフィクション書籍『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発』を原作に 、東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所事故発生時に発電所に留まって対応業務に従事した約50名の作業員たち・通称「フクシマ50」の闘いを描いていた。

 

東北地震が発生し、原子力発電所に想定外の津波がおしよせ、事故が発生する。原子力発電所の設置場所は、津波がきても大丈夫な海面10Mとしていたが、それを上回る自然災害だった。

 

原子力発電所で事故が発生したときの、技術者の姿、責任者、政府の対応を描いた作品だったが、臨場感あふれる映画だったと思う。

 

特に、原発事故が発生したときに、放射線の中に任務を遂行する決死隊の場面。まさか、生死をかけて仕事をすることになろうとは、夢にも思わなかったと思う。しかし、実際、爆発が起き、けが人は続出する。

その様子が映画を通して具体的に詳細に伝わってきた。原発事故の対応に関わっている人は、メーカさんしかり、自衛隊の人しかり、消防の人しかり、政府関係者しかり、様々な人が携わっていた。皆さんが、この事故を抑える「最後の砦」と思っている。

 

見てて感じたのは、やはり、現場の事は一番詳しい現場の人に任せることが優先だと思った。政府関係者が、横やりで遠隔のテレビ会議室から、注文する姿に現場がいら立つことは理解できる。しかしながら、原発事故で想定外の放射能事故になると、東日本一体が避難対象になるのも事実だ。

そこまでの危険な存在が原子力発電所であることを改めて知った。福島原発が起こるまで原発は安全であり、二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーが謳(うた)い文句だった。

 

原発の良いことだけでなく危険性も、もっと繰り返し伝えた方が良いと感じる。福島原発事故は日本全体の問題であり、風化させてはいけないと改めて思った。

 

私が新入社員の頃、原発に関してディベート(異なる立場に分かれて議論すること)があり、原発の安全性に関して議論していた。

原発の安全性に疑いを持つ立場からは、「原発が安全と言うのであれば、東京のど真ん中に原発を設置すれば良い」という反論を今、思い出した。